これはわたしとブラジル夫フェニーとが出会って結婚するまでの日記です。
国際恋愛や国際結婚は普通の日本人同士のパートナーシップと比べて不安が大きいですよね。
恥ずかしいし、あまり大きな声で話すようなことではないかもと思いますが、わたしがどんな人間で、どんな風に夫と出会い、今こんな風に頑張っていますということをお話しできればと思い書き始めました。
同じ悩みを抱えている方、国際結婚が不安な方の希望になれば幸いです。
日本人夫と離婚し、ブラジル人夫と出会うまで
前夫との離婚
2014年はわたしの人生の中で、激動の1年でした。
ざっくり言ってしまうと、19歳の頃から付き合って32歳まで一緒に暮らしていた日本人男性と離婚という大きな出来事がありました。
理由を一言では語るのはあまりにも難しく、相手のこともあるのでブログで詳しく書くことはためらわれるのですが、
子供ができる前に別れた方が良いとわたしが決断し、前夫に了承してもらいました。
もちろんお互いが最終的な決断をするまで様々な葛藤がありました。
最後はわたしの幸せを願って別れてくれた前夫には感謝してもしきれません。
色んな形があるとは思いますが、今でも大切な友人のひとりとしてわずかながらの交流も持っています。
ひとり暮らしスタート
3月に離婚。その春から夏にかけてわたしはとても不安な気持ちで過ごしていました。
ずっとそばにいてくれた人がいなくなり、ひとりで生きていかなくてはならないので当たり前ですよね。
その時のわたしの視野はとてもとても狭くなっていて、「今何か行動しないとこのままでは人生が終わってしまうのではないか…」とものすごく真剣に思い悩んでいました。
暗中模索もいいところ、手当たり次第思いついたことを行動に移していたように思います。
人って追いつめられると不思議な行動になるんですよね(笑)じっとしているのが不安で仕方なかったのだと冷静になった今ではわかります。
それまで人並みに小さな挫折は何度となく経験していましたが、これほどまでに人生が思い通りにいかないといったことは生まれて初めて。
焦りから変なものを引き寄せていたのかも。
女性は離婚すると清々しい気分になるとよく聞いていましたが、わたしの場合はすっきりよりとにかく不安の方が大きかったです。
日本のストレス社会が嫌で嫌で仕方なかった
当時のわたしは都会のストレス社会に限界を感じていました。
日本に住むのがイヤ。東京の生活がイヤ。会社に行くのがイヤ。
大学受験、就職戦争、会社に入ってからもキャリアアップにつきまとわれる人生。
同じ会社でも楽しく働いている同僚はたくさんいて、全ては自分の心持ちなのですが、そんなことにはちっとも気付かず全て周りのせいにしていました。
わたしはこんなに頑張ってるのに、なぜ幸せをかんじられないの?って。
日本から離れたくて外国人の友達を作るようになった
海外旅行に行くときだけ、高揚感を感じる人生になっていました。
英語に苦手意識があったために、日本で外国人の友達を作ることはありませんでしたがここへ来て一念発起。
怖がらずに外国人の友達をつくってみることに。
離婚したり、人生がうまくいかないと思い込んでいる時って、昔の友達とかあんまり会いたくないじゃないですか。
心配かけたくないし、とにかく自分に自信が持てないし。
そんな中で新しくできた外国人の友達は気兼ねなく、その場限りの楽しい話ができ、心地よさを感じました。
新しい友達を作るなんて本当に何年ぶりだろう。
それまでの人間関係といったら学校か職場しかありませんでしたから。
今考えると色々と現実逃避をしてたんだろうなぁと思います。でも当時は真剣に海外に移住しようか思い悩んでいたんですよ(笑)
ブラジル人夫と出会うまでの序章はこんな感じでスタートしました。
あまりポジティブな理由ではありませんでしたが、こうやって外国人と知り合うことがわたしにとって当たり前になっていきます。
外国人の友達を探す方法
外国人の友達を作るのにはいろんな方法があります。
今はマッチングアプリが流行っているので、そういったものを登録してみるのもいいと思います。
わたしは出会い系は少し抵抗があったので(20代ならやってたかも)、ジャパンガイドに登録しました。今でも同じ機能あるのかな・・・?
「ジャパンガイド」で外国人の友達を探してみた
「ジャパンガイド」をどうやって見つけたのかはもう全然覚えていません(笑)
「ジャパンガイド」って何なの?っていう方のために公式サイトから概要を抜粋しました。
「ジャパンガイド」とは毎月およそ180万人のユーザーが訪れる、日本の旅行情報や生活、文化情報を集約した世界No.1の訪日外国人向け日本情報ポータルサイトです。
実際に数ヶ月以内に訪日旅行を予定している外国人をはじめ、潜在的な訪日旅行者(日本に興味があり、まだ予定はないがいつか日本を訪れたいと考える外国人)など閲覧しています。
移住や税金等に関する事項から100均ショップ等の日常生活についてまで、日本での生活情報についても詳しく掲載されているため、これから日本に住む予定の外国人も閲覧しています。また文化面に関しても、日本の伝統芸能からポップカルチャーまで網羅しているため日本文化に興味のある学生も集っています。まさに「今日本に興味がある外国人」が集まる総合日本情報サイトなのです。
ここで、「外国人の友達を作りながら英語の勉強ができたら最高では?」と考えていたのは覚えています。
「ジャパンガイド」ではLanguage Exchangeが人気
ここでは「Language Exchange」の相手を探すことができました。
ラングエージエクスチェンジというの
日本語を勉強したい外国人と、外国語を勉強したい日本人が友達になって、お互いの言語を交換して学んでいくことです。
まず掲示板に書き込んで、友達を探すのですがシンプルにこんな書き込みをしました。
どの出会い系や掲示板でも世界共通、こんないたって普通の書き込みでも女性が投稿すると信じられないくらいたくさんのメッセージがきます。
この時わたしは30歳を過ぎていたし、写真も載せてなかったんだけど…。
数日でざっと100人近くからメッセージをいただきました。もちろん99%男性(笑)
中には初めは楽しくメールしてたのに、突然「既婚者だけどお金あるからデートしない?」と聞いてくるようなオジさんも。しかも1人じゃなく複数!!
本気でLanguage Exchangeしたい人の見極め方
そんな時間の無駄とも言える経験から完全に出会い目的の人とそうでない人を見極める方法と、変な人を避ける方法を身につけた(笑)ので、ちょっと話はそれますがシェアしておきます。
恋人、彼氏がいるか聞いてくる
1通目のメッセージはだいたいみんな普通に自己紹介。2通目ですぐに彼氏がいるか聞いてくる人は完全に出会い目的です。
わたしの場合はこの時点でスルー。もうお返事しませんでした。放っておいてもめっちゃメールくるしね…。
すぐに会えるか聞いてくる
ジャパンガイドには「外国に住む外国人」と「日本に住む外国人」の2タイプがいます。
体感としては後者の方が7割くらいで多かった気がするかな。
そんな日本、特に首都圏に住んでる外国人はすぐに会えない?と聞いてきて面倒でした。
もちろん、純粋に勉強のため会いたいという人もいて、何日かメッセージをやりとりした後池袋のカフェで1時間お茶したこともあります。
このあたりは個人のリテラシーというか、危機管理能力に関わってくるので難しいところなんですけど、話してて大体わかりますよね。
変な人とか、性的な関係だけが目的の人って。
わからないという人はやっぱり危ないので会わない方がいいかもしれません。会うときは人通りの多い混雑したカフェがおすすめです。
安心なのは外国に住む外国人
もちろんオフラインで会うおもしろさはありますが、当時は恋愛の駆け引きを楽しむ余裕もなくどちらかというとめんどくさいと思っていました。
そのため、すぐに会おうと言ってこない外国に住む外国人の方が気楽ということに途中で気づきます!大ハッケーン( ´∀`)
また、話していてアメリカ人の英語はまだ聞き取るのが難しく、挫折してしまうかも!と感じました。
英語は堪能だけど、非ネイティブを選ぶことで少しずつ英語が聞き取れるように・・・!
だけどこのような友達って、作るのは簡単だけど継続するのは案外難しい。
カナダ、フィンランド、ブラジルに住む年下の男の子。
漫画やアニメが好きで、日本文化にも興味があって、日本のことをよく質問してくれました。
そう、この3人うちの1人、ブラジル人が現在の夫フェニーです。この時はまさか結婚することになるなんて思いもしませんでした。
ブラジル人はやっぱり陽気!
ブラジル人との連絡方法はSkypeとLINE
数年前のことなので、記憶がやや曖昧ですが、知り合って1週間ほどでSkype*を交換しました。(*昔からあるLINEみたいなサービスです)
メールだけでやりとりが終わった人が大半だけど、language exchangeの醍醐味はやはり会話!通話できた方がおもしろいと思います。
初めて話したときの印象は、
加えて片言ながら日本語も話せたのでかなり好印象でした。
はじめは週に1、2回。段々仲良くなって仕事が忙しくない日はたいてい30分くらい話していたと思います。
ブラジル夫の元彼女は日本人
初めてSkypeで話した日、フェニーの前の彼女が日本人だったと知りました。どうりで日本語が上手だと思った!
なぜかというとわたしと元彼女の名前がおんなじだったから(笑)
日本人にはよくある名前だけど、同じとなるとちょっとびっくりしますよね。
あなたの名前は本当の名前ですか?と聞かれてそうだよ~と答えると元カノと同じですねーって。
夫は元彼女の話をするのはとても嫌がりますが、わたしは結構聞くのが好き。
彼女は仕事で数年間ブラジルに駐在しており、日本に帰国してしばらくしてから別れてしまったとのこと。確かに遠距離するには遠すぎますもんね。。
その話を聞いてわたしが思ったことは、
元カノは日本で一流大学と言われる大学卒で、超有名企業で働いていました。
彼女には会ったことも話したこともありませんから、人柄や性格はもちろんよく知りません。
それでもなんとなく経歴を聞いて、
「大丈夫そうだ」
と思ったのは事実です。学歴や仕事で人を判断するのはよくないと思いつつも、そういった社会で長年生きてきた価値観が抜けない自分。
良かったか悪かったかはわかりませんが、日本人と数年付き合った過去があるというのはわたしにとっては大きかったというのは事実です。
ブラジル人とブラジル旅行
そんなこんなで、わたしたちは頻繁に連絡をとるようになり、なんとなくお互いに好意をいだくようになりました。
とはいえ、当時のフェニーはモッサい感じで見た目があまり好みではなかったのであくまで性格が良くて優しい人という程度(自分を棚に上げてひどいw)
しかもブラジルと日本の超遠距離なので、どれだけ仲良くなったところでそれ以上の関係になるという発想もありませんでした。
他の2人とも相変わらず英語の勉強のため連絡をとっていましたが、フェニーと話す方が楽しくて、段々フェードアウト気味に…。
頻繁に連絡をとっているせいか、フェニーはドンドン日本語が上手になっていきました。
わたしも少しずつ英語のヒアリングが出来るようになってきたころ年末年始の旅行のことが頭に浮かびました。
わたしは大の海外旅行好きで、会社員時代は1年に数回海外旅行へ行っていました。
年末年始は毎年恒例海外で過ごすため、今年の旅先はどこにしようか考えていたんです。
その年の候補としてあがったのが、
- 北欧でオーロラ鑑賞
- 南米で夏のクリスマス
- 長年行きたいと思っているキューバ
そこで、フェニーに
と聞いてみたところ・・・
とすぐにメッセージをくれたんです。
もしサンパウロでちょっとくらい会えたらいいかなーと思っていたのに、まさかのガイドを申し出てくれるなんて・・・( ゚Д゚)
すごい楽しそう・・・行きたい・・・けど・・・・
ブラジル人とブラジル旅行は楽しい?危険?
当時のわたしの悩みポイントはいくつかありました。
- フェニーはすごく良い友達だけど、会ったこともない人と旅行なんて危ないかな?
- 年末年始に南米っていくらかかる??(結局50万弱かかりました)
- せっかく行くなら近隣のアルゼンチンとウルグアイも行きたいけど、フェニーはそんなに予算ある!?
ブラジルと日本の平均年収は3倍程度違います。単刀直入に聞いてみました。
えっ貯金全部使っちゃっていいの??と思ったけど、わたし調べによるとブラジル人は貯金をしない国民性とのことだったのでいいのかな・・・と。
わたしは思いきって旅行先をブラジルにすることを決めました。
確かにリスクはあるけど、それはお互い様。
わたしのことを信じて、楽しそうだと即答してくれたフェニーに会ってみたいと思いました。
それに現地のガイドがいる旅行程心強いものはありません。
➝旅が仕事になってからはどんどん一人で出かけるようになりました。ひとり旅デビューは34歳!
旅のトラブルは自己責任
わたしたちのような出会いはなかなかないかもしれません。
初めて会うのが地球の裏側だなんて映画みたいだなーと思いつつ別にロマンチックな感情に浸っていたわけではありません。
何かあったら自己責任。
でもここで死ぬわけにもいかないのでw最低限のリスクヘッジをし、わたしたちは一緒に南米をまわることになりました。
自分で大丈夫と思うためにした確認は以下の通り。
- Facebookで、本当に日本人の彼女がいたことを確認
- 家族や友達の雰囲気をチェック
- ホテルはAirbnb(民泊)を使って、他のゲストたちと一緒に過ごせるように手配←一応二人きりにならないように
- 状況を両親に説明
両親に反対されたら行くの難しいかもなぁと思ってましたが、大丈夫でした。
いつも両親はわたしの背中を支えてくれるので感謝しています。小さい頃から何か反対されたことってほとんどない。
旅行に行くことが決まってからは、ふたりで旅行の行程を決めたり、予約をしたりと共同作業が続いたため、もっと仲良くなっていきました。
まだまだ恋人になるなんて段階ではありませんが、彼の性格や誠実さにだんだんと惹かれつつ、あまり見た目が気にならなくなってきた頃です。
年末年始、南米旅行のスタート
今考えると、かなり旅程に無理があるのですが当時はブラジルに再訪するつもりがなかったので予定を詰め込めるだけ詰め込みました。
待ち合わせはブエノスアイレス国際空港です。
12日間で7フライトはやりすぎでしたねw超弾丸でどの街にも1~2泊しかできませんでした。
- 東京→ニューヨーク
- ニューヨーク→ブエノスアイレス(アルゼンチン)
- ブエノスアイレス→イグアス(アルゼンチン)
- イグアス(ブラジル)→リオ(ブラジル)
- リオ→サンパウロ(ブラジル)
- サンパウロ→ニューヨーク
- ニューヨーク→東京
この旅程にOKを出してくれたフェニーは本当にすごい。そんな彼だからこそわたしと結婚できるくらい忍耐強いんでしょう(・∀・)
わたしはニューヨークへ前泊、夫はイグアスへ
旅程の通りわたしは成田からニューヨークへ向かいました。
同じく年末年始に南米に向かう友達とセントラルステーションで数時間だけ合流し、夕食を共にした後、わたしは1泊して観光。
同じ頃フェニーは親戚達の住むイグアスへ向かいクリスマス休暇を楽しんでいました。
冬のニューヨークは3度目でしたが、ひとりで街を歩くのは初めて。
この後の旅行が楽しみでもあり、ちゃんと会えるのか不安でもあり。
考えてもみてください、ブエノスアイレスで会えなかったらどうしようマジで…(-_-;)
ブエノスアイレス国際空港で感動の初対面?
緊張の中ニューヨークを出発し、アルゼンチンへ向かいます。
飛行時間は11時間。流石のわたしも10時間越えのフライト2本はめっちゃきつい!!
疲れ果てながらも無事空港へ到着し、迎えにきてくれていたフェニーと無事合流。
感動の初対面?というほどではなく(笑)ぎこちなくハグをして、南米旅行のスタート。
実はこの時送金トラブルがあり、フェニーは遅刻しそうだったので空港までタクシーで駆けつけてくれました。
わたしは結構男性に対して心が狭くて、こういうミスにイライラするタイプ。
他人のお金の心配なんてするのは傲慢で下品なことだと思います。が、めっちゃくちゃ心配して嫌な気分に陥りました(笑)→今はだいぶ改善されました。
これから10日間の旅行。一体どうなっていくんだろう。
ブエノスアイレスでいきなりのケンカ
早速宿に荷物を置いて街へ繰り出します。
初めての南米!!地球の裏側に胸が高鳴る!!
世界で二番目に美しい本屋さん「エル・アテネオ」
子育てが忙しく、本を読む機会もめっきり減ってしまいましたが、わたしは元々大の本好き。
ブエノスアイレスには、世界で二番目に美しいと言われている本屋さんがあります
宿から本屋さんまでは歩いて20分ちょっとの距離。歩いてもいけるけどタクシーで行こうと提案して目的地の説明はフェニーにお任せ。
って思ってました。
やっぱり通訳いる旅は最高だなーと。
7月9日大通りを超え、もうすぐ着くはずなのにタクシーはどんどん遠くへ…。
ちょっと不安になるわたし。
「運転手さんに聞いてみてよ!」とフェニーに頼んで確認してもらうも合っているとのこと。
僕に任せてって自信満々だけどさ…
いやー、これ絶対違うでしょ。だって歩いて20分の距離タクシーで10分以上かかるわけないじゃん〜
結局到着したもののここがどこかわからずわたしは超不機嫌に(笑)
到着したのはアルゼンチン国立図書館
落ち着いて連れてこられた場所を確認すると、目当ての本屋さんではなくアルゼンチン国立図書館…。
フェニーの説明が悪くタクシーの運転手さんは勘違いしたみたい。どおりで遠いと思ったよ(´Д` )
会って早々、わたしはブチギレ
ショボーンとするフェニー
必死で気分を変えようと盛り上げてくれるも、まさかの休館日(笑)
確かにこちらの建物も結構立派で見ごたえありそうだったのでやっていれば観光したのになー。
結局ただ来ただけでトンボ帰りするという結果になりました。
しかもタクシーが全然捕まらなくてまたイライラ。
ブエノスアイレスには2日しか滞在できないから時間を無駄にしたのが悔しくて。
喧嘩するほど仲が良い?
今から冷静に考えると、会ったばかりの人にこれだけ怒れるってことは、この時点でかなり心を許してたんでしょうね!
短気なわたしでも友達に怒ったりすることは全然ないので。
その後ちゃんと本屋さんに戻り、ショッピングをして機嫌を直し、夜は美味しい赤身肉のステーキを堪能しました。
わたしたちの記念すべき初デートは結構ひどいものでした(笑)
この時点でフェニーに対する感想は
- かなり鈍臭い(道間違ったり、予定に間に合わなかったり)
- 結構我が強くてめんどくさい(任せてくれと言ってわたしの話を聞かない)
- ダサい
わーほんとひどい。。。
性格は優しくて明るくていい人だけど付き合うのは残念ながらちょっとないかなーと。
めちゃくちゃ気があう友達だったからこそ、どこかで付き合えたらいいなって思ってたのかもしれません。だからちょっと残念だったな。
最悪とは言わないまでもイマイチな旅のスタート。でも完璧な旅って絶対にないし、それがまた旅の良さです!
次はついにブラジルイグアスの滝へ向かいます
憧れの世界三大瀑布イグアスの滝
ブエノスアイレスから飛行機でイグアスへ向かったわたしたち。
順調なスタートはいえないものの少しずつ打ち解けてきました。
宿泊したAirbnbホストの車でイグアスの滝まで向かいます。
道がめちゃくちゃ渋滞していて2、3時間かかったっけ・・・(;・∀・)
そんなこんなでなんとか到着。残念ながら天気は曇り。
ボートに乗って滝の近くまで行くと水しぶきでびしょ濡れになります。
イグアスは世界三大瀑布のひとつ。
日本の滝とは比べ物にならないほどの迫力で、ボートから落ちたら死んじゃうんじゃないかってくらい水流がすごい!!
イグアス国立公園にはかわいい動物がたくさん
イグアスにはこんなかわいい動物ハナグマや、おさるさんや鳥もたくさんいて子連れにめちゃくちゃおすすめ!!
子連れでブラジル行く人なんてそうそういないと思いますが・・・。
ツアーでは動画撮影サービスなどもあったものの、翌日または2日後配送なので受け取りが間に合わず断念。もったいなかったなー。
遊び疲れて帰るタイミングで大雨が降り出し、びしょ濡れです。
出口で待ってくれていたホストの車で宿泊先に戻りまったのですが、この車内がすごーーーく寒くてかなりひどい風邪をひいてしまいました。
部屋に戻ってシャワーを浴びて部屋で休んだけど、本当に全身ブルブルブルブル。
イグアスですっかり風邪を引いてしまったわたし。しかし強行日程を変更するわけにもいかず、絶不調の中リオに移動します。
ブラジルで飛行機遅延は当たり前
体調不良の中、頑張ってイグアスの空港に到着したわたしを待ち受けていたのは長蛇の列!!
何事かと思ってフェニーに確認してもらうと、とにかく飛行機が全て遅延していて予定通りに出発しない。
回復予定時間も今のところ全くわからないとのこと( ゚Д゚)
この旅のメインイベントがリオデジャネイロでのカウントダウン。もしかしたら間に合わないかもしれない。
空港で年越し!?と本当にへこみました。
でも怒っても文句を言っても何も解決しないのが外国。
とりあえず空港をうろうろしながらひたすら待ちます。
そうして1、2時間待ったでしょうか。
どんどん悪化する体調
イグアスからの不調で機内のことはほとんど記憶にありません。
ただ隣のおばあさんのネイルが真っ赤で素敵だったこと、リオの空港上空から見える景色がめちゃくちゃきれいだったことだけいまだに覚えてる。
空港に着いた途端ホッとしたのか急激な吐き気に襲われ、とりあえずトイレへ直行。吐くだけ吐いてフェニーのもとへ。
熱っぽくてフラフラする中、空港まで迎えにきてくれていたAirbnbホストモアラの車に乗り込みます。
部屋についたらすぐにベッドに案内してもらいなだれ込むように倒れました。
わたしが寝ている間、炎天下の中フェニーがドラッグストアを周り薬を探してくれてたみたい。
リオの病院へ緊急入院
寝てもちっとも回復しないので、モアラに病院を紹介してもらうことに。
タクシーで到着すると、お金持ち用の高級病院!
日本の病院並み(それ以上かも)にきれいで英語での対応もOK。フェニーにフォローしてもらいながら診察です。
数年前に腎盂炎になってから健康診断でもいつも腎臓が引っかかるんですよね。
治療するほどのことはないけど身体のウィークポイント。
とりあえず点滴をうつこと3時間。計5~6時間病院で休んで少し回復してきました。
結局診察料と薬代合わせて約5万円。もちろん保険に入っていたので全額戻ってきたけど高いなぁ~。
お会計を待っている間に日本の両親へ電話しました。病気になった連絡と一応明けましておめでとうのため(笑)
トラブルの時こそみえる人間性
そんなわけでリオでの大晦日は大変な目に。
まさか病院で数時間過ごすなんて想像もしなかった!海外旅行は何十回と言ってるけど病院にお世話になったことなんてなかったし。
この時フェニーがつきっきりで看病してくれたのがとても心強かったです。
リオでのカウントダウンは旅のハイライト。
それが台無しになったのに、文句の一つも言わず、ただひたすらに優しく駆け回ってくれ、彼の優しくてまじめな人間性を感じることができました。
このトラブルから、わたしはフェニーのことを頼りになる素敵な人だと認識することになります。
大晦日リオデジャネイロでのカウントダウン
いつか旅行記は詳しく記事にしたいけど、結局どうしたかって??
どうしてもビーチでカウントダウンしたかったわたしは、ゾンビ状態のままモアラとモアラの旦那様(そこそこ有名な歌手らしい)に地元の人たちでにぎわうビーチに連れて行ってもらいました。
でもそのおかげでコパカバーナとはいかないまでも、たくさんの打ち上げ花火を見れて満足です。当時からわがままにつきあってくれてありがとね
最後の観光地サンパウロへ
念願の花火を見られて満足し、フラフラになりながらモアラ達と家に到着。→そのまま就寝。
1月1日お正月の朝は、リビングで昨夜のビーチのニュースをゆっくり見ながら朝ごはんをいただきました。
リオとモアラファミリーに別れを告げ、サンパウロへ向かいます。
余談ですが、年末年始のリオのホテルは死ぬほど高騰しているので本当に民泊おすすめ。
モアラの家は高級住宅地で本当にかわいくておしゃれなお部屋だったので最高でした。
ブラジル用のネイルどうですか?ハワイアナス(ビーサン)にぴったりでしょ(笑)
サンパウロへは飛行機で1時間ちょっと。一瞬で到着。
この時はだいぶ回復していて、空港でポンデケージョを食べる余裕もありました。一安心。。
サンパウロ観光はベタな定番ルートを楽しむ
サンパウロ観光はまさにこの記事に書いた場所をまわりました。
ブラジル家族が選ぶおすすめ観光スポット・見どころ5選!
美術館2つと、美味しいジェラート屋さん、ハワイアナスやメリッサでショッピング。
リベルダージもパウリスタも楽しかったなぁ。
サンパウロは2泊3日と少しだけ余裕があったので、フェニーのお友達と会ったり、地下鉄に乗っていろいろまわったりローカルな楽しみ方もできました!
サンパウロは本当に東京のようなビッグシティで、リオやイグアスとは全く違います。
お別れのカウントダウン
最後に観光したのは市場。
ふたりでボッタくられたのも良い思い出。喧嘩したり、病気になったりいろいろあったけどそろそろお別れ。
お別れはちょっと寂しかったですね。だってもしかしたらこれが最後で一生会わないかもしれないから。
最終日はさすがにしんみり。
そう告げるとフェニーはポロポロ涙をこぼして、「もう会えないかな?僕はまた会いたいと思ってる」と言ってくれました。
その時は、すぐに泣く涙もろい人なのかな?と思ったけど、結婚して5年間。一度も涙は見ていません。別に全然泣き虫じゃなかった。
わたしはこの5年で何百回も泣いてるけど(笑)
空港では曖昧な返事をしつつ、国際線ターミナルへ向かいました。
サンパウロからニューヨークまでの機内で今回の旅を振り返り、今後どうすべきなのか考えました。
機内で旅を振り返る
旅行の前にやりとりしていたメール、旅行での会話を思い出しながら、どれだけフェニーがわたしを大切にしてくれていたのか思い返しました。
ブエノスアイレスまで迎えに来てくれたこと
怒るわたしをなだめようと頑張っていたこと
体調の悪いわたしをつきっきりで看病してくれたこと
わざわざ遠くの空港まで送ってくれたこと
どんな時も明るい笑顔で接してくれたこと
振り返ってみると、彼の手を放してはいけないのでは?と曖昧だった気持ちが、ニューヨークに着くころには変わっていることに気づきました。
世界中でフェニーほどわたしを大切にしてくれる人はいないかもしれない
ブラジル夫1週間で「来日」することを決意
結局帰国後も以前と変わらず連絡を取り続けたわたしたち。
1週間ほどたったころでしょうか。フェニーは急に大きな決断をします。
元々、わたしと知り合う以前から日本で働きたいという夢をもっていたフェニー。
実は1年前に慶応の大学院に合格していました。
奨学金を待っていてはいつ来日できるかわからない。けれど日本で就職するにも日本語レベルがまだまだ足りない。
そんな中で出した答えが、学生ビザをとって日本語学校へ通うために来日するという選択でした。
知り合ってまだ数か月、会ったのはたった1度。
そんな状態で大きな決断をしてくれたフェニーをわたしは受け入れることに決めました。
当時わたしは高校の同級生あゆちゃんとルームシェアしていたのですが、一部屋空きがあったのでビザが取れ次第そこにステイすることに。
遠距離恋愛はキツイ!ブラジル夫の正しい決断
当時は3ヵ月後に来るなんてどれだけせっかちなのだろうと思いましたが、今となっては彼の決断は正しかったのだろうと思います。
もしあの時、来日の予定が半年後、1年後となっていたら関係が継続できていたか怪しいところ。
国際恋愛の遠距離は半端ないですし、1度会っただけの脆い関係だったからこそ早急に絆を深める必要がありました。
国際恋愛が結婚に発展しないという話はよく聞きますが、相手(または自分)が祖国を出る決断がつかずに破局してしまうというパターンも結構多いのではないでしょうか。
日本に来ると言うばかりで、ちっとも来てくれない。そんな時はパートナーの覚悟がまだ固まっていないのかもしれません。
そんなこんなでなんとか関係が継続しそうなわたしたち。しかし来日してからもいくつも問題が勃発してしまいます。
国際恋愛は本当に大変
ブラジルから日本に滞在するにはたくさんの手続きが必要です。
ビザの申請のため、招致する側の日本人が用意しなければいけない書類もたくさんあります。
そんないくつものハードルを乗り越え、出会ってから3ヶ月後にフェニーは日本にやってきました。
国際恋愛あるある①金銭感覚の不一致
フェニーが到着する日、わたしはあゆちゃんと一緒にフェニーの好きな豚カツを用意して待っていました。
わたしもあゆちゃんも会うのをとても楽しみにしていたのに予定時間になっても全然到着しません。
結局色々道に迷って途中からタクシーに乗って来たらしい( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)
電車で200円くらいの距離を7,000円かけて!!!
いや、わかるよ。迷ったら不安になるの。でも日本2回目だし、もうちょっと頑張れなかったん??
この件は1例ですが、ブラジル人はそもそも貯金をしない国民性。そして良いところでもあるのですが、「今」を快適にしたり楽しむことに全力を注ぎます。
まあ簡単に言うと浪費家ってことですね(笑)
今ではお金のやりくりも上手になってきたフェニー。始めの数ヶ月はこういった金銭感覚の違いにイライラして衝突することが多かったです。
国際恋愛あるある②性格の不一致
性格の不一致の話は、正直あまり国民性とは関係ないような気がしますが、シェアメイトになった始めの1ヶ月。
わたしとあゆちゃんVSフェニーでよくケンカをしました。
わたしとあゆちゃんはかなり大雑把な性格で、掃除があまり得意ではありません。
フェニーは潔癖症まではいかないけど、それなりにキレイ好き。
食事の前に毎日床を拭かないと食事を始められなかったんです。
せっかちなわたしは、熱々のうちにご飯が食べたいのにフェニーがいきなり拭き掃除を初めてイライラ( `ー´)
なんだかわたしたちがちゃんと掃除していないのを責められているような気がしてとても不愉快でした。
これ、日本人同士でもありますよね。。小さなことばかりですが、あまりにも色んなことで意見が合わないので関係が続くかかなり心配だったころです。
問題は合っても愛があれば乗り越えらえる
いまだにしょっちゅう喧嘩はします(笑)
ただ、『パートナーシップの1番の問題はコミニケーション不足』
ふたりともここだけは疎かにしてはいけないと共通理解がありました。
そのため、とにかく喧嘩した時は徹底的にお互いの気持ちを伝えるように努めるのが我が家のルール。
こんな風に双方の主張を聞きながら色々話合った結果、我が家はお互い好きなように生活するというところで決着しました。
わたしはフェニーの帰りを待たずに食事を始めることが多いです。
週末もわたしと子供が先にさっと食べて、フェニーが少し遅れて食べ始めるということもしばしば。
ほんとは家族みんなそろって食事が理想かもしれませんが、そのために夫とわたしが我慢するより夫婦がストレスなく生活できることを選びました。
夫婦仲があまりよくないという人は、常識的なルールにとらわれず自分たち夫婦だけのオリジナルルールで生活すると結構ラクになりますよ(*´з`)
そんなトラブルだらけの日本生活1ヵ月が過ぎたころ、更なる大問題が勃発することに・・・
ブラジル人夫強制送還事件
フェニーが来日して1ヵ月後、ゴールデンウィークにスリランカ・モルディブ旅行へ行きました。
その時はまさかこんな事件が発生しようとは出発した時は思いもしませんでした。
事件というよりわたしたちのミスなのですがとにかく史上最悪の事態がわたしたちを待ち受けていました。
ブラジル人夫成田空港でパスポートコントロールから出てこない
1週間の休暇を楽しみ日本へ帰国。
モルディブから日本へは乗り継ぎもあって結構疲れていたので早く家に帰りたかったのに、フェニーがちっとも出て来ません。
不安になって戻ってみると小部屋に連れていかれているフェニーを発見!
めちゃくちゃ心配になるわたし・・・。
日本への短期滞在ビザはシングルビザだった
どうやらフェニーはシングルビザで来日していたため、旅行のため一度出国してしまうと、ビザが切れて再入国はできないという事態に陥っていました。
「とりあえず日本には入国できないのでブラジルに帰ってもらうしかないですね。」
めちゃくちゃ冷たい入国管理局の担当者。
何かこの事態を避ける方法はないのかネットで調べても何も出てこない。
とりあえず、ビザがないのに飛行機に乗せたスリランカ航空も問題なので彼らと話してくださいとのこと。
成田から強制送還された後は一時ソウルへ
スリランカ航空担当の男性は本当に申し訳ないと謝ってくれ、状況を確認し3人で作戦会議。
わずかな時間で何がベストなのか決断できなかったので、とりあえず出国して韓国へ行くことに。
韓国にした理由は以下の通りです。
- チケットが安い(片道2万円弱)
- ブラジル人でもビザが必要ない
- 滞在費が安い(ゲストハウス1泊1,000円)
- あと2、3週間ほどで学生ビザの申請がおりるはず
ビザがおりた時に必要な身分証明書などの書類は全て自宅(成田から2時間半)にあるためあゆちゃんに電話をして持ってきてもらうことに。
強制送還されたら二度と入国できない可能性も
フェニーと知り合ってから今までこの時ほどどうしたらいいか焦ったことはありませんでした。
日本の入国管理局は本当に厳しいので、場合によっては再入国できないこともあり得ます。
その場合わたしたちは二度と日本で会うことはできないかもしれない。そしたらわたしがブラジル行くの?どうするの・・・??
あゆちゃんがいてくれて本当によかった。
フェニーをソウルへ送り出した後はふたりでラーメンを食べて帰りました。ひとりだったら不安で泣いていたかもしれません。
帰国した翌日から会社へ出社しなくてはいけないので、帰宅後日本語学校の担当者へ連絡をとり、今後どうしたらよいか相談しました。
ビザが発給されたらソウルの日本領事館で受け取れるはずといの情報を受け、とりあえずしばらくソウルに滞在することになったフェニー。
しかしなかなか思ったようにうまくいかないのが人生(笑)事態はもっと悪化していきます。
日本語学校からのGOサインを得て日本領事館へ行きましたが、結果はNG。
ブラジルへ帰国してからビザを取得し日本へ戻ってくるよう命じられてしまいました。
ソウル日本領事館の対応
ソウルの日本領事館の対応は最悪でした。
もちろんミスをしたわたしたちが悪いのですが、同じケースでもフランス人・ドイツ人であれば対応実績はあったのです。
直接電話をしてみましたが、
- 確かに実績はあるがブラジル人は事情が違う
- そもそも学生ビザを取得する前に観光ビザで入ったのなら一度帰国するのが筋
- 例外は認めません
とのことで一蹴されました。
日本語学校の担当者もこれにはガッカリ・・・。とはいえ決まったことは仕方ありません。
2週間余りのソウル滞在は完全に無駄になってしまいましたが、ソウルからブラジルへ帰国することになりました。
再度問い合わせするためにお名前を伺いましたが、名前を教えると身の危険があるとのことで教えてもらえませんでした。
偽名でもビジネスネームでも何かないものなんでしょうか・・・。
※超個人的な感想です。もちろん素晴らしい方もたくさんいると思いますし、公務員のお友達もいますが国際結婚関連では嫌な思いをすることが多々あります。
1ヵ月の間に地球1周半
もう二度と同じミスはしないと心に近い、2週間滞在したソウルを後に。
ソウルからはドバイ経由エミレーツでリオデジャネイロへ。
ブラジルへは2泊だけして当時片道最安値だったエチオピア航空で日本へトンボ帰り。
- ベロオリゾンテ→サンパウロ→ドバイ→成田
- 成田→コロンボ→モルディブ
- モルディブ→コロンボ→成田→ソウル
- ソウル→ドバイ→リオ
- リオ→エチオピア→香港→成田
今では笑い話ですが、当時はわたしもフェニーのお母さんも完全に呆れてました。
ビザの申請は、慎重に、正確に
これ以来わたしたちはビザの申請にとっても敏感になりました。
海外旅行に行くときやその国でシングルなのかマルチなのか領事館に問い合わせるのは毎回の事。
日本と違ってまだまだブラジルはビザが必要な国が多いので旅行の度に本当に大変!
それでもなんとか6月には日本に戻ってきてくれたフェニー。日本で再会した時は本当にほっとしたのを覚えています。
この強制送還事件以降、3年たった今でも毎回空港で小部屋に連れていかれます。
何度も行っているので慣れてきて、最近ではわたしも同行して一緒に小部屋に行き、事情を話してすぐに出られるようになりました。
最終的に4年目で小部屋対応はなくなりました!スムーズに出れたときの喜びといったら…!!!
アルバイトから就職するまで
無事に再来日したフェニーは、その後順調に日本語学校に通い自力でデザインのアルバイトを見つけてきました。
『外国人夫の就職先を探すなら転職サイトの活用が超おすすめ!』
他のクラスメイトが飲食店でのアルバイトを選ぶ中、自分のやりたいジャンルで仕事を見つけてきたフェニーのガッツに驚きました。
始めから難しいんじゃないかと決めつけていた自分を恥ずかしく思います。
日本で本当に働きたいという強い意志を感じたし、これからもずっと応援しようと決めました。
地中海クルーズで感動のプロポーズ
再来日してからは大きなトラブルはなく、9月に地中海クルーズへ旅行へ行った際に船のレストランでプロポーズ。
食事中にケーキが運ばれてきて「Will you marry me?」 の文字が…( ;∀;)
まわりのお客さんやスタッフみんなにお祝いしてもらって嬉しかったです。
両親もフェニーのことはすごく気に入っていたし、もちろん承諾。知り合ってちょうど1年たったころ。
相変わらずよくケンカはしながらも、別れるという選択肢は頭の中からスッポリ消えていました。
婚約指輪はクルーズ中に訪れたシチリア島のタオルミーナという街で買ってもらいました。
アクセサリーは普段あまり使わないので、この指輪はあまりつけないけど、プロポーズや買ってもらったときのことを思い出すだけで幸せな気分になります。結婚指輪は結局まだ買ってません(笑)
>>>地中海クルーズについての詳しい記事はメインブログで「MSCファンタジア地中海クルーズ旅行記」をご覧ください。
わたしが国際結婚するまで
ネットで知り合い、ブラジルで初めて会って、そのまま同棲したというのは周りにはもちろんいませんし、聞いたこともありません。
よく映画みたいだねと言われるし、確かにそうだなと思わなくもありませんが、実際のわたしたちの生活はわりと平凡です。
ふたりとも仕事をして、子育てに追われバタバタし、毎日クタクタになって眠りにつきます。
出会いがロマンチックかどうかは、普段の生活にちっとも影響しません。国際結婚と一言で言っても、結局はパートナーの人間性と相性が重要です。
ブラジル夫といるといつも楽しい
フェニーと一緒に過ごすことで、価値観の変化が生まれました。
特別なことは何もしなくても一緒に家でDVDを観たり、カフェでお茶するだけで幸せだと感じることが増えたんです。
それまでは、
- 海外旅行をしたり
- ショッピングで素敵な洋服を買ったり
- 高級レストランで食事をしたり
少し特別なことをしないとあまり幸福感を感じることがありませんでした。
忙しい仕事、退屈な毎日。どうしたものかと思っていたのにフェニーと一緒にいるだけで楽しい。
なぜだろう・・・?
ブラジル夫は常に楽しく幸せそうだった
考えてみるとすぐに謎はとけました。
フェニーはわたしと一緒にいるとき常に楽しそうで幸せそうなのです。
表情や雰囲気だけでなく、常に声に出して気持ちを伝えてくれました。
特別な記念日やイベントがなくても、日常会話として常にわたしのことを褒め称えてくれ(笑)気にかけてくれるおかげでわたしも自然と笑顔に・・・。
そんな風にいつも幸せで楽しそうなフェニーを見ていると、自分にもその空気が流れてきてとてもハッピーになりました。
結婚の決め手は明るい未来がイメージできたから
プロポーズを承諾した決め手はやっぱり彼との将来が幸せで楽しいものに思えたから。
あれからもうすぐ3年経ちますが、パートナーシップは年々強くなっています。
プライベートでも仕事でも、かなりハードな状況や問題がありました。しかしながら、どんな時も隣で支えてくれる夫を選んで、一度も後悔したことはありません。
世間には旦那デスノートなるものがあるようですが、フェニーが死んだらわたしも生きていけないと思うほど頼り切っているのでわたしがそれを書くことは一生なさそうです。(ないことを心から願っていますw)
追記:結婚6年目の今も変わりなく彼のおかげでしあわせです。
国際結婚も日本人同士の結婚も根本は同じ
国際結婚だからこそ起きる問題は実際あると思います。
しかし、日本人とも外国人とも結婚した自分自身の経験から、国籍が起こす問題よりその人個人の性格や考え方が自分と合っているかどうかの方が遥かに重要だと断言できます。
いまあなたが「不安」なのか「楽しい」なのか、未来に幸せをイメージすることができるかは、とても大切な指標になるのではないでしょうか。
わたしの両親が結婚に反対しなかった1つの理由として
わたしが彼といて幸せそうだったから、幸せになれそうだと思ったから
ということは間違いなくあったと感じます。
親は子供に幸せになってもらいたいですからね・・・。
わたしが国際結婚するまでまとめ
フェニーと知り合って6年。たくさんの楽しい事、悲しい事、困ったこと、悩んだことがありました。
これからもきっとたくさん喧嘩や衝突をして、子育てのことで悩んだり泣いたりすると思いますが、できるだけ笑顔で乗り越えていきたいです。
このブログもフェニーからの進めで始めました。
ブログを始めて3年。今ではなくてはならない存在です。このブラジルブログが少しでもどなたかのお役に立つことを願っています。